2016年07月18日
★最近この唄の歌詞の内容が身に染みます その2★
こんばんは!村長です
今日は祝日海の日ー!!海行きました?(笑)
さて本題!本日2回目の更新!!今朝のブログの続き!!でございます
見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
このフレーズですが、今まで村長が教えられたこと、世の中の常識、これが正しい、マチガイであるなどなど、、
デタラメという言い方は大げさですが、解釈すると、『本当にそうなのか?』という視点で物事を捉えてみることが大事なのでは?ということを言いたいのかなぁ?と思うんです。
村長もそうですが、今までの経験や知識の結果、こうである!!という固定観念というものが体に染み込んでいますよね。
人間少なからず誰だってあることですよね。
そこを客観的にみる、というか、少し離れた立場でその場を見つめてみる、考えてみることが大事なのでは?と思うんですよ。
客観的に物事を捉えて考える習慣をつけることで的確な答えというか、正確な判断ができるようになると思いますし、周りに振り回されない、
『ブレない』
生き方ができるんだと思います。
猜疑心を持て!!ということではありませんよ。
今の時代を生きる人間は(もちろん村長も含めて)どれだけ目と耳で入る情報に支配されているのだろう??
ここ最近そういうことをよく考えてしまいます。
世間一般論がそうだから、ということで同じように流されてもいいのだろうか?なんてね。
ちなみに村長はそういうことを意識し始めてからはテレビはほとんど見なくなりました。
昔から大好きだった『目覚ましテレビ』『とくダネ!!』などのニュース番組もほぼ見ません。
昔は目覚ましテレビの女子アナが『おはようございます』なんて挨拶したら自分も『おはようございます』って心の中で挨拶してましたけどねー。キレイな足も見れたりしますし(笑)下心ミエミエですね(笑)
そんな感じですので、テレビドラマもほとんど見ないので最近の旬な俳優さん、女優さん、芸人さんも今ではほどんどわかりません
まあ自分が欲しい情報であれば自然と入ってくるでしょうし、何でもかんでも情報を入れてキャパオーバーになってしまうことはどうなんだろう?って思う自分がいるので、別に旬な話題についていけなくてもそれはそれでいいと思っています。
さて、話元に戻しますねー。
最後のフレーズ・
『情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方』
肝心なのは心の奥にある本当の自分自身です。それイコール=『情熱の薔薇』ではないか思うんですよ。
今までの教養・知識、世間一般論などなど、、自分の周りを取り囲むあらゆること、
どんな環境に自分が置かれても自分自身がどうあるべきか?
『あり方』
こそが大事であるということ。
『あり方』
さえ見失うことがなければ、どんな環境に置かれたとしても自分の心のなかの真っ赤な薔薇を咲かせることができるのだと。
うーん、村長なりの解釈ですので。。。感じ方は人それぞれですからねー。いい、悪いのジャッジはしないでくださいね
甲本さん自身、歌詞の意味を詳しく解説するということはしてないようなので、、聴いた人自身の捉え方でいいのかなぁ、と思いますよ。
心の中にある自分自身は生まれてから死ぬまで自分のそばを離れることはありません。つまり誰よりも親友でありますし、大切なパートナー!!と呼べる存在です。
村長はそういう風に考えています。
ですから、心の中の自分にはウソをうそをついてはいけないし、本当の自分がしたい!ということは素直に聞いてあげることが大事です。
本当の自分を満たしてあげること、それが『花瓶に水をあげましょう』とうことではないかと思うんですねー。
皆さんはどう思いますかー??
読んでくれた人、それぞれの中で何かしらの気づきがあると嬉しいですね
ではまた!
村長でした
今日は祝日海の日ー!!海行きました?(笑)
さて本題!本日2回目の更新!!今朝のブログの続き!!でございます
見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
このフレーズですが、今まで村長が教えられたこと、世の中の常識、これが正しい、マチガイであるなどなど、、
デタラメという言い方は大げさですが、解釈すると、『本当にそうなのか?』という視点で物事を捉えてみることが大事なのでは?ということを言いたいのかなぁ?と思うんです。
村長もそうですが、今までの経験や知識の結果、こうである!!という固定観念というものが体に染み込んでいますよね。
人間少なからず誰だってあることですよね。
そこを客観的にみる、というか、少し離れた立場でその場を見つめてみる、考えてみることが大事なのでは?と思うんですよ。
客観的に物事を捉えて考える習慣をつけることで的確な答えというか、正確な判断ができるようになると思いますし、周りに振り回されない、
『ブレない』
生き方ができるんだと思います。
猜疑心を持て!!ということではありませんよ。
今の時代を生きる人間は(もちろん村長も含めて)どれだけ目と耳で入る情報に支配されているのだろう??
ここ最近そういうことをよく考えてしまいます。
世間一般論がそうだから、ということで同じように流されてもいいのだろうか?なんてね。
ちなみに村長はそういうことを意識し始めてからはテレビはほとんど見なくなりました。
昔から大好きだった『目覚ましテレビ』『とくダネ!!』などのニュース番組もほぼ見ません。
昔は目覚ましテレビの女子アナが『おはようございます』なんて挨拶したら自分も『おはようございます』って心の中で挨拶してましたけどねー。キレイな足も見れたりしますし(笑)下心ミエミエですね(笑)
そんな感じですので、テレビドラマもほとんど見ないので最近の旬な俳優さん、女優さん、芸人さんも今ではほどんどわかりません
まあ自分が欲しい情報であれば自然と入ってくるでしょうし、何でもかんでも情報を入れてキャパオーバーになってしまうことはどうなんだろう?って思う自分がいるので、別に旬な話題についていけなくてもそれはそれでいいと思っています。
さて、話元に戻しますねー。
最後のフレーズ・
『情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方』
肝心なのは心の奥にある本当の自分自身です。それイコール=『情熱の薔薇』ではないか思うんですよ。
今までの教養・知識、世間一般論などなど、、自分の周りを取り囲むあらゆること、
どんな環境に自分が置かれても自分自身がどうあるべきか?
『あり方』
こそが大事であるということ。
『あり方』
さえ見失うことがなければ、どんな環境に置かれたとしても自分の心のなかの真っ赤な薔薇を咲かせることができるのだと。
うーん、村長なりの解釈ですので。。。感じ方は人それぞれですからねー。いい、悪いのジャッジはしないでくださいね
甲本さん自身、歌詞の意味を詳しく解説するということはしてないようなので、、聴いた人自身の捉え方でいいのかなぁ、と思いますよ。
心の中にある自分自身は生まれてから死ぬまで自分のそばを離れることはありません。つまり誰よりも親友でありますし、大切なパートナー!!と呼べる存在です。
村長はそういう風に考えています。
ですから、心の中の自分にはウソをうそをついてはいけないし、本当の自分がしたい!ということは素直に聞いてあげることが大事です。
本当の自分を満たしてあげること、それが『花瓶に水をあげましょう』とうことではないかと思うんですねー。
皆さんはどう思いますかー??
読んでくれた人、それぞれの中で何かしらの気づきがあると嬉しいですね
ではまた!
村長でした